リンダ・ゲイル・アリゴ:台湾民主化の証人
1963年、アメリカ出身の少女リンダ・ゲイル・アリゴは、退役軍人の父親とともに台湾にやってきました。父親は台湾の女性と交際しており、リンダ自身も来台前から中国語を少しずつ学び、この島の文化に自然と親しみを感じていました。 でも当時の台湾は、蒋介石(ショウ・カイセキ)率いる国民党政府のもとで戒厳令が敷かれ、街の空気にはどこか抑圧感が漂っていました。本土文化を尊重しようとする動きは抑え込まれ、言いたいことも自由に言えず、異議を唱えれば監視の目にさらされる――そんな時代でした。 外からやってきたリンダにとって、この社会の奥深い矛盾は肌で感じられるものでした。その経験は、後の彼女の人生において大きな道しるべとなったのです。 Dr. Linda Gail Arrigo: Taiwan Democracy Fighter Talks About Events Leading Up to the Kaohsiung Incident 1960年代後半、リンダは台湾人の最初の夫と結婚し、一緒にアメリカへ移住しました。そこで台湾では入手しにくい情報に触れ、ジョージ・ケルの著書『売られた台湾』( The Sold-Out Taiwan )などを通じて、国民党政府の政治的抑圧の実態を深く知ることになりました。 1969年頃、アメリカ滞在中、リンダは監視されていた台湾の専門家や学生たちと出会いました。その一部は台湾に戻った後に尋問を受けたり、命を奪われたりしたのです。例えば、地下台湾独立組織のメンバー、チョウ・チュン(張春)は、1970年代初頭に台湾に戻った後、国立台湾大学図書館の屋上から落とされ死亡しました。リンダもこの組織に関わり、彼と接点を持っていました。この経験が、彼女の台湾政治への強い関心を呼び起こし、人口学や社会学の研究へと進むきっかけとなったのです。 1975年、リンダはスタンフォード大学での研究のため台湾に戻りました。義父の家で、野党指導者のカン・ネイショウ(康寧祥)と出会い、1950~60年代に国民党政府が国営企業を通じて経済の半分以上を支配していたことを聞かされました。経済は成長していましたが、富の分配は不公平で、多くの民間企業主(義父が経営する回路基板会社TMCなど)が稼いだ資金で野党を支援し始めました。これにより、軍部の経済支配は徐々に弱まっていきまし...